現在、過去ブログのリライトを実践中。7年前の自分の子育てを改めて見直し、子どもへの関わり、受検や学習への取り組み方、子育ての本質への気づきがありました。当時のママ子に、「それは間違ってるよ!」って、言ってやりたい(泣
※「序」はご挨拶文(駄文)です。お急ぎの方はスルーしてくださいませ
序:「ママ、変わったよね」と、しみじみ言われる毒親
バッシャーン!
テーブルに置いたグラスを倒してしまった娘。
・・・家族全員の空気が凍り付く。
「ママに怒られる…」
そーゆー空気の中、
ママ子:「大丈夫~?」と、ふきんを持ってドスドス駆けつけると、
パパ男&娘:「えっ?」
長女:「怒られるかと思った~w」
パパ男:「怒号が飛んでくると思ったよなぁw」
次女:「ママ、ほんとに変わったよね~、昔だったらちょっとしたことですぐに怒ってたもんねw」
ママ子:「本当にごめん…」オレ、なんも言えねえ。
かつては「ゴルァ!!”こぼさないように”って言ったでしょー!!」っつって、デカい声だしてたよな。
過去には、不機嫌ハラスメントを炸裂させてたもんな。家族のみんなに申し訳なかったって思ってる…マジで昔に戻ってやり直したい。
手遅れだな。毒親に育てられた子どもの未来は不幸だぞ。
貧しい人はコップいっぱいに飲み物を注ぐものなのですね。
今回は、このゴミみたいなブログを全否定する内容になるんだろうなw
アンタたち!酷いよ~…凹んでるところにタライ落とすような事して!!(泣
今回は、5年前の子育てや受検体験を振り返ったママ子が、改めて子育ての本質について、間違っていたこと、感じたことを綴っています。
中学受験後、5年経過。受験ブログを振り返る
あのさ、長女の中受から、もう5年も経つんだね。
最近ブログをリライトしててね、過去の自分のブログを読んだら、背筋が凍ったんだよ…読み返したら、目を覆いたくなるような…本気で毒親すぎることもあって…
たとえばコレ(関連記事です)
ガーン!60点?!~ランドセルの底に、ぐちゃぐちゃに入っていた答案~
学校からの評価を気にしすぎた結果…
これだけは嘘じゃない。子供たちを愛していたし、どうにか幸福になるようにって祈ってた。
だけど、圧倒的にやり方が間違ってたよ。本当に。
ママ子は、通知表が命だった…マジで、通知表で良い評価もらってれば、先生からのイメージアップを策略し、我が子たちに「先生から気に入られるために」あれしろ、これやれ、って言ってた。
思春期に入ったら、子どもの自己肯定感がぐんぐん下がった。
マジで、自己肯定感の塊だった長女ですら、現在は不登校の一歩手前。学校が大嫌いだ。
あのさ、学校の評価がなんぼのもんだ?って今なら思えるのよ。
学校のランクだとか偏差値よりも
当たり前だが、ママ子は我が子の生命を守る事が大事だってことに気が付いたから。
一般のレールから外れたママ子としては、本気でそう思う。
この五年間、すげー色んな事を経験して、親として死んだし。マジでママ子の中の毒親を、娘たちが殺してくれた。
見つめるのは、子どもの未来じゃない!
ママ子は、未来を見てた。将来、うちの子が生活に困らないように。ママ子のように劣等感だらけの人生にならぬように。頭の悪さで就職もままならない、氷河期というアノ時の自分に言いたい。若しくは、中学受験で「母親の狂気」って言われるほど、我が子の進学や進路に向けて、必死で頑張っている保護者さまにお伝えしたい。
子どもは、親が大好きで、親の望みを必死に叶えようとする。
我が家の次女も、自分の心を偽って、ずっと勉強を頑張ったのだ。嫌な勉強を、受検を、親のために頑張って来たのだ。
知らず知らずのうちに、ママ子が次女の心をコントロールしてしまった…
子どもの未来なんて、見据えなくていい。「未来を見据えて」なんて、クソくらえだ。
ありのままの我が子を、受け入れる
我が子の今の心を、見つめていかなければならないのだ。
ママ子は、遅かった。気が付くのが、遅かった。
今でも毎日後悔する。小さい頃から子どもがどんなものに興味があるのか、どんなことが好きなのか、そっと見守って観察して、欲しいと言ったら与えてやればよかったのだ。そうすれば、こんなことにならなかったのに…我が子の未来は、希望に満ちたものになったであろうに…
その反面、
いや、今でよかったんだ。気づかせてくれたのが、今で良かったのだ。
ママ子が生きている間に、辛い気持ちを吐き出せた今だから、良かったのだ。人生何度でも失敗して、やりなおせばいいのだ。
五年経過・中学受験の反省点
- 自分の生い立ちが諸悪の根源
- 親の要望が強すぎた
- 親の幸せの定義が偏りすぎていた
- 進学校に進学しても良い事ばかりではないことを知っておく
以上、この4つが、反省点として挙げられる。
1,自分の生い立ちがすべての不幸の原因だった…
正直申し上げて、ママ子の生い立ちは、ここに書けない事があったりするほど、ほんのり壮絶であった。カウンセリングをしてくださる心理士さんに「よくぞここまで生きてこられましたね」と、言っていただくほどである。
そんなママ子は、自分の不幸を子供たちに味あわせたくなかった。ただその一心で子育てしてきたのだ。
ママ子の受験だって、ズタボロだった⇒ ママ子の高校受験と父と母。
毒親問題は、親の親、そしてまたその親って、不幸が連鎖しているのだ。
そんなこと、子どもを産むまで知らなかった。いや、数年前までは、実感できなかったのかもしれない。
2,ママ子の要望が強すぎた
あのね、よく聞くよね「子供に夢を託して、自分の人生やり直している親」とか…たぶん、ママ子は認めたくはなかったが、そんな親だったのだ。
志望校だって、誘導尋問っつーか。選択肢を絞ったのもママ子だし、見学に行く学校だって、ママ子が決めたのだ。そんで、ママ子が要望する学校を絶賛したあとに、「どの学校がいい?」なんて、コントロール以外の何物でもないわ。
今思うと、本当に酷い親だな…心がえぐられる。
3,ママ子の幸せの定義が偏りすぎていた
えーっとね。ママ子は一応、少しだけ裕福な家の出身なのだけど、親の金銭感覚はドケチというか、質素倹約な親だったので、お金関係は特に厳しく育てられた。親がそういう職種であったこともあってね。お金に関しては口うるさく言われた。
ママ子は学力が無くて就職に失敗した。そして親と同じようにドケチ遺伝子を受け継いでしまったのだ。
⇒ 「貧乏」を口にした結果⇒子への悪影響
貧乏な生活は、何て辛いんだろう、と思った。だから、我が子には、良い学校に行って、良い大学に入れば、稼ぐ力が身に就く。お金さえあれば、心に余裕を持って幸せな生活ができる、と、心から信じていたのだ。
実際、貧乏でも我が家は家族みんな笑顔が絶えない、仲良し家族であるのに…ママ子は、目の前にある幸せに、気が付くことができなかったのだ。過去という亡霊にとらわれて。
4,第一志望に合格したからと言って、幸福になるわけではない
これは、高校受験の話であるが、我が家の長女は、中学受験が不合格だった後に、
死に物狂いで勉強し、第一志望の学校に合格した。
合格したら、人生バラ色だと思っていた…が、それは幻想であった。真っ赤な嘘であった。
ママ子は驚いた。だって、エリート校に入ったんだよ?もう、悩むことないって思っていたのに、現実は過酷であった。ジワジワと、長女の心が蝕まれ、今では劣等感の塊になってしまった。
子どもの人生は子どものもの。
結局は、我が子の人生、我が子のものだ。
ママ子は、間違っていた。自分が信じるものが、我が子の信じるものと同じとは限らない。いや、違ってよいのだ。価値観なんて、親子だって全然違う。
過去を旅して「自分を受け入れる」
今、ブログのリライトをしながら、ママ子は過去を旅している。
我が子へは、謝罪しきれないほどの、罪を犯した。この罪は重く消えない。一生十字架を背負う覚悟である。
そうやって、罪を背負って生きるためにも、このブログは残しておこうって思う。自分の必死で生きた軌跡と、自分の不幸と、自分の過ちを忘れないために。
そうやって、自分の過ちを忘れず、そして、親として「頑張ったんだよな」って、自分を労ってやることも。ママ子のことは、ママ子自身でしか、わかってやれないから。
辛かったけど、すごく、すごく、必死だったんだよな。我が子を守ろうって必死だったんだ。
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