思春期の子育てに挫折したママ子。今までの子育てに後悔と自責の念でつぶされそうになりながら、村上春樹氏が提唱した「30歳成人説」が目に入る。
思春期以降の子育てを、親はどこまでやっていけばいいのか。80-50問題とか、世の中成人になっても困っている方々が多いということで、ママ子の主張を書き綴ってみます。
「序」は駄文(ご挨拶文)です。お急ぎの方はスルーしてくださいませ。
序:貧乏暇なし。またバカな挑戦を始めるママ子です。
ドッフ、ドッフ。皆さん、お元気ですか?今日もチャーミーな太い人が来ましたよ。
俺だよ俺!ママ子だよっ。
あのさ、あたし今、内職みたいな給料しかもらえない仕事してんだけどさ。
近頃の値上げラッシュに耐えられなくなって・・・、家計がさ。
でも、事情があってこれ以上バイト増やせないしさ、どうすんだ?
っつーことで、・・・資格の勉強することにしました!
英検はママ子には難しすぎるから細々と続けるとして…まずは、家計を見直す!!
FP(ファイナンシャルプランナー)の3級を受験することにしまっす!えっへん!
・・・
ドヤ顔で何言い出すと思えば…英検の勉強は、間に合わないから諦めたっつー話だな
FP3級レベルですと、8割程度の合格率ですので、勉強すれば落ちずに済みそうですね
また参考書と問題集買って、家計に負担かけてんだろ!!気づけバカ!!
・・・
アンタたち!ちょっとは応援してよね!老後の資金の事とか、生活費の節約とか、マジでお金のこと知ってないと、痛い目に遭うよ。ママ子はもうすでに、家計が限界で、今日、財布の中見たらマジで泣けてきた・・・金が無え…無いんだよ金が…英検難しいのはホントだけど!!
1月に試験受けますんで、よろすくおねげーします。
さてさて、今日は、「30歳成人説」の話。
母親の苦しみや子育ての悩みを抱えるのって、18歳で成人したらなくなるんだと思ってたんだけど、違うのかな?
親として、どうやって見守っていけばいいの?って疑問に思ったので、記録してみます。
「30歳成人説」の概念を調べてみた。
Wikipediaさまで、調べてみました。
30歳成人説(30さい せいじんせつ)とは日本の民法が成年を満20歳と定めているのに対し、「精神年齢でいけば今の30歳は、昔の20歳くらいにあたる」という考え方のことである。作家の村上春樹が唱えている。同氏は「自分が本当にやりたいことなんかそう簡単に分かるものではない、30までは色んなことをやって30になってから人生の進路を決めればよい」という趣旨のことを述べている。作家の田口ランディは、「人間は29歳に転機を迎えるという法則」(29歳変動説)というのを唱えている。[要出典]また小川明は自己の確立ができない若者たちはマニュアル、カタログにたより情報擬似体験のなかで流され20歳成人の意義がなくなり、30歳が成人になる節目になったとしている[1]。
Wikipediaより引用
こんな感じで考えると、確かに30歳になって、ようやく心が大人になるのかな、って思うよね。
精神的な成人は、ママ子の場合は40歳過ぎても、未熟だったような気がする。
なんなら、ついさっきまで、全然大人じゃなかったと思う。人間として、全然わかってなかったわ…
ママ子が20歳の時(1990年代後半)を思い出してみた
アンタ…ママ子の20歳時代なんつったら、史上最悪な時代だった。
そういえばそうだよ。暗黒の時代だったわよアンタ。
高校生から親元を離れていたママ子。たぶん、気持ちは無理やり大人にされて育ってきたんだよね。ヤングケアラーまではいかないだろうけど、けっこうヘビーな記憶もあるわけで。
思春期こじらせて病んで病んで、大変だったわ。
大学には一応行ってたし、友達とも仲良くしてて、ハタから見たら普段の生活はフツーどおりにできていたんだけど、メンタルがボロボロだった。家に帰って泣いたりとか。マジでここに書けないほど。
それから。彼氏に振られたりとか。
つーか、ママ子、パパ男に拾われてなかったら、結婚できてなかったわ絶対。
ママ子が30歳の時(2000年代初期)人生の一大イベント
ママ子が30歳のころは、愛する愛する長女も生まれて、やっと、「母親」として、
自分以外の人のことを真剣に考えられるようになった。
それまでは、マジで酷い人間だったよ。自分のことばかり考えて凹んでた人生だったからね。
長女が生まれて。母親として大人になった。いや、もう、義務っつーか、産んだら母親、必然的にそうなった、という感じだよね。自覚は、合ったんだろうな…
もう、娘のためなら何でもできるほどの溺愛っぷり。
娘が可愛くてかわいくてしょうがなくって。
ママ子みたいにならないように、この子は絶対に幸せにするんだ!!!
っていう強い決意をしていた(が、のちに執念になって間違いを犯してしまうんだけどね・・・)。
ママ子は親になったことがきっかけで、いわば精神的に大人になった気がする。
自我の柵から少しだけ抜け出せた気がする。
そうすると、30歳成人説は、あながち間違いでもないけどね。
我が子に全身全霊を傾けた、30代~であった。
山田玲司氏の「学習論」に30歳成人説を見た
山田玲司氏もね、「30歳成人説」を唱えているうちの一人なんだと思う。
「勉強は、30歳くらいからが本物だ」って語っているからね。
ママ子はさ…完全に間違えていたよ。「塾に行かずに中学受験」なんてブログを掲げてさ。無理やり我が子に勉強させてさ…我が子をコントロールしてさ…
悲劇が起こったよ。マジで悲劇。ママ子は後悔してもしきれない。
自分の子供にさ、幸せになってほしくて頑張った早期教育とかマジで。バカになる事ばっかやってたわ~。。ママ子、本当にバカだった。バカ親は、やっぱりバカな子育てしかできなかったんだよね。
若いうちは、どんどん経験して、失敗していけばいい、という話だよ。
もうね、なんでこんな単純なこと、わからなかったんだろう。「失敗」のありがたみをさ。ママ子は、知らなかったよね。
ヘリコプターペアレンツとして、パタホパタホって、子どもが失敗しないようにお膳立てしちゃってさ。
人生には、必ず、「病み期」が到来する。
あのね、ママ子の結論なんだけど、人間っつーのは、大なり小なり、みんな病み期が来ると思うの。
ぶっちゃけ、ママ子には、壮絶な「病み期」があったし、今でもなお、その「生きづらさ」に苦しんでいるのだ。
あ、でもね、子育て中のママさん達を脅したいわけじゃないの。絶対大丈夫だから!!って言いたいわけ。
ママ子はさ、検査してないけど、発達障害持ってる。たぶん。ADHDとかASDとか。両方持ってるんだと思う。ブログの中と家族の前ではゴリゴリのお笑いキャラだけど、内面は…ぶっちゃけると、そうとうな陰キャ。
今、40代も後半に入って、ようやく、「コミュ力オバケ」と家族に言われるほどの図々しさを身に着けたんだけど、そんでもやっぱね、チキンハートなのよ。
発達障害の人は、特に「30歳成人説」が当てはまると言われている。
だけど、ママ子みたいにグレーゾーンっていうかね、定型なんだか発達障害なんだかわかんないまま、世間的には「社会人」みたいな感じで生きてる人って多いんだよ。たぶんすげえ多い。
あのさ、もうね。発達障害の人もそうでない人も、日本人はもう、みんな病んじゃうんだよ。
もはや日本は斜陽の岐路を辿っているわけだけれども。
とにかくこんな調子でだれも何もできなくてどうしょうもなくなるっていうね。日本の末路がね、悲観するしかねーのか?ってくらい、後進国なのよ。もはや日本は、先進国ではない。
「大人になる」というのは、どういうことなのか
ママ子は考えた。成人ってなんだろうか。精神的な「成人」は、ぶっちゃけ18歳や20歳じゃ到底無理だ。ママ子みたいなバカは当然のことながら。
もはや今もう人生も後半に差し掛かっているけども、そんでもまだ「ちゃんとした大人」じゃないよ、ママ子なんて、ババアになっても精神的には発展途上のオバサンだと思う。
だけど、この年になって、ようやく、ママ子はほんの少しだけ、大人ということがわかってきた気がする。なぜか・・・それは
自分のことを受け入れられたからだ。
そう。ママ子は、幼少期から傷ついて育ってきた。発達障害の可能性もギンギンにある。傷だらけの人生。そんな自分が思う、ママ子なりの「成人」は、許せたということなのだ。
たぶん、自分を…。許せたんだと思う。
自分が大嫌いで仕方なかった。
自分みたいに育ってほしくなくて、必死に子育てしてきた。
いつ死んでもいいほど、人生に未練なんてなかった。
そんな自分を、思春期の子育ての挫折を通して、もう一度向き合った時に、やっと、許せたのだ。
必死に頑張った子育ての末、どうしようもない事実、絶望に向き合った時に、やっと、
「オイ!あたしチャン、アンタもそうとう辛かったよな。愛する我が子のために、もう一回、一緒にがんばろうや。」
ってね、ママ子は、自分の中の醜い少女にねぎらいの言葉をかけることができたのだ。
アンタは醜くても大丈夫。一緒に人生やっていこうよ。大丈夫、あたしは自分をよくわかってる。
自分で自分のことを初めて認めることができたのだ。アンタと付き合っていけるのって、あたししかいないじゃん。ってな。
子育てに苦しまなくていい。自分を許して、受け入れよう。
30歳成人説を読んだとき、実は途方に暮れたのよ。
「ええええええ?!ちょっと待って、あたしの子育てあと何年続くの?ずっとこの苦しい心配と葛藤が続くの?やめてくれえええええ!!!」
って思っちゃった。50-80問題では、老人になる親御さんが引きこもりの我が子を抱えて、年金で我が子を養い、暮らしていくという悲惨な問題もある。子育てってなんなんだろう、って思うよ。
我が子が人生に困らないように勉強をさせて頑張ってきたのに、、終わらない子育てに向き合っていかなきゃなんないなんて、辛すぎるよな。
思春期が来たら、我が子に全てを任せてどんどん失敗させよう!
ママ子は、思う。子どもが10歳になったら、もう、一人の大人として子供とつきあっていくのが良かったのだと。大人として尊重した態度で、我が子の成長を楽しんでいければよかったのだ。
失敗なんて、どんどんすればいい。学校で悔しい思いや悲しい思い、そして喜びだったり楽しさだったり、ありのままで体当たりしてくればよかったのだ。そして、失敗したときにはしっかりと受け止めて親としてできる範囲で助けてあげればよかったのだ。
中学受験勉強で、友人との交流を拒んだ挙句にいじめに遭った我が子が不憫でならない。
どうしてあの時、ママ子は中学受験なんてさせようとしたのかと。
もっと沢山失敗して、それを「良い経験をした」と喜んであげなかったのか。
あのね、日本人は失敗を怖がりすぎ。
いや、わかんない、もしかしたら世界のインテリは全員失敗が嫌で、本読んで頭でっかちになってる人も多いかもしれない。
とにかく、体験をすることで自分の人格を作り上げていってほしかった。誰でもない自分。
自分のことを応援してあげられるほど、自分のことを信じてあげられる、高い自己肯定感を、育んでほしかったのだ。自己受容こそが、精神的な成人たらしめると思うのだ。
うだうだ長く書いてしまって申し訳ないです。
ママ子は今、人生でようやく自分の過ちを受け入れて前に進もうとしています。
子育てって、こんなに大変なんだなあ。予想外のことがいっぱい起きて、たくさん学ばせてもらってる。苦しくて苦しくて、逃げ出したくなることもあるけれど、耐え抜いて一つの山を乗り越えると、やっぱり新しい景色が見えてくるんだよな。
そうやって、みんな。大人になっていくんだよな。人は一人ひとり、尊重されるべきなんだよ。若いとか年寄りとか、そういう差別なしに。さ。
コメント