『推し、燃ゆ』の感想・ブックレビュー【母親側から】

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娘から熱くおススメされた本、第164回芥川賞受賞作:『推し、燃ゆ』を読んだら、母として涙が止まらなくなりましたので、感想を記録しています。我が子の問題・思春期に悩む親御さんに、読んでみて欲しいな、って思いました。

※「序」はご挨拶文(駄文)です。お急ぎの方はスルーしてくださいませ。

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序:自己嫌悪の塊で、生きているママ子です

ああ、そうだよ。

ママ子は、ずぅーっと生きづらい人生を生きて来た。
推しにハマることは無くとも、かなり振り切れた人生を歩んできたと思う。

常軌を逸した精神状態に陥り、青春時代なんて、長い間苦しんできたもんで。

依存的傾向は強いんだが、幸い「過度な推し活・宗教・ホスト」など、お金のかかる事への執着はなかったので、今現在、こうやって世間的には平和なバカオバサン(←社会のゴミ)として生きていられる。

学歴コンプレックスは強くって、それが我が子に多大な影響を及ぼしてしまったことは、本当に情けなくて悲しいことで申し訳ない事であったと、今は思う。

読書は、そういったママ子の自己嫌悪感を刺激し、慰め、昇華させたり、回顧させたりする、いわゆる「涙活(涙を流して自分を浄化させる活動)」として最高の手段である。

英検の勉強で、読書はずぅーっと封印してきた。酒も辞めてたけど、一番キツかったのは、本が好きに読めなかったことだと、この本を読んでいて気がついた。

ママ子には、読書があるから、ここまで生きてこられたと言っても過言ではない程、本が大好きである。本は、ママ子の対話の手段だ。自分との、貴重な対話の手段なんだよ。

・・・

「おいおいおい、インテリぶんなよ!!LINEまんがで、漫画読みまくりの日々だったじゃねーか!」

「特に昨今は、読みやすい本が増えていますから、読解力の無い方でも理解できるものは多いように思います。」

「ここまでバカだと”生きづらい”気持ちはわからなくもないがなw」

ドッハー!言いたい放題だね、アンタ達!!バカでも読書できるんだよ!!絵本も大好きなママ子、今日も元気にバカを炸裂させてブックレビューしちゃうからね!!

今回は、オタクガチ勢の次女nanaにおススメしてもらった、宇佐美りん著『推し、燃ゆ』の感想を記録します。

予想以上に大泣きしちゃって、ママ子、大変だったんだから!!

『推し、燃ゆ』のざっくりとしたあらすじ(ネタばれチョイあり)

女子高生のあかりちゃんが、どんだけ「推し」を生きがいにしていたのか。

そして、それがどうしてなのか。若者の思いをオタクの観点から写実的に描写した青春小説。

っていうのが、ざっくりとした、この小説の印象。

推しの炎上をきっかけに、ますます、自分にとって尊い「推し」を応援することに決めた主人公あかりちゃん。

そんなハタから見ると壮絶な「推し活」は、私生活にさまざまな影響を及ぼしているように思えるが、本人は、ただひたむきに「推し」を推すことを生きがいに生きている。

そんな主人公は、家族との問題、自分の「病気(発達障害??)」のこと等の苦しみが膨らんで・・・

こんな感じのあらすじ。これから読む方のために、ネタばれ少な目にしてみました。すごく読みやすくて、1~2時間あれば一気に読めちゃうので、忙しい方々にもおススメです。

推し、燃ゆ [ 宇佐見 りん ]

アイドルオタクを全く理解していないオバサンからの視点

正直、アイドルオタクのことは、ほぼ理解できてないバカオバサン・ママ子にとって、
「オタ活・推し活」を良いと思っていないのが、正直なところである。

極端に言わせて頂いてしまえば、

新興宗教・ホスト・オタ活(ガチ勢)

という括りに入ってしまうほど、オタクは金の亡者に騙され、金銭をむしり取られてしまう
という印象を持っているのだ。

理解できていなくて、申し訳ないのだが、ガチのオタクの方々が、CDを何百枚も購入し、アイドルの立ち位置や、席順などの「投票」を行うというシステムは、本当に嘆かわしいと思うし、我が子がやっていたら

「お願いだからやめてちょうだい」

と涙ながらに、お願いしてしまうであろう。

正直、この小説には詳細なオタ活の描写もなされているが、ママ子は目を覆いたくなるぐらい、読むのが苦痛であった。だって、理解できないと思っていたから。
最初は。ね。

オタ活の経済効果は、絶大!!

しかし、ママ子の思考は、古い。古すぎる。

オタクの消費活動こそが、経済を活性化させているのだ。

ある意味、オタクの方々の活動は社会貢献であるという考えも理解できてきた。

我が子が「オタク」なのはイヤだけど、経済的に「ヲタ活」が非常に重要な効果をもたらすということは、理解できているのだ。

我が子がハマったら、嫌だけど。というところは、どうしてもハズせないのが申し訳ないのだが。

何故かって?もう既に、我が家の次女nanaは、オタク化し、ガチ勢にほぼ近いと思われるほどのヲタっぷりだからである。

オタ活は、一番簡単に、達成感が目に見えるし、仲間(推し仲間)との協力作業(グッズ購入)は、なんとも気持ち良い青春の臨場感を感じられる。

CD買ったらアイドルから「ありがとう&握手」
投票したらアイドルから「あなたのおかげです、ありがとう」だもん。

CDの売り上げランキングが上がったり、動画の再生回数が上がったりすると
「ファンのみんなで頑張った!!!やったー!!」

という得も言われぬ感動と興奮を与えてくれる。

だから、韓国アイドルなんて、世界的に大変な影響を及ぼしてるよね。

「推し活」への疑問・・・自分どこいった?

人間は、美しいものが好きなのだ。

アイドルは、美しい。イヤなことは言わない。キラキラした世界の中で生きる、崇高な存在なのだ。

自分の人生がいくら辛くても、「推し」が幸せであれば、それでいい。

「推し」の笑顔を守りたい。

ママ子は、非常に苦しく思った。

ねえねえ、若者よ。

アンタの人生、どこいった?自分、どこいった?

自分の人生を推しに捧げるのが何よりも幸せって・・・

自分の人生をしっかり積み上げて、経験から色々な事を学んで欲しいとか

美しい美術作品や、クラシックの演奏会で、音楽のすばらしさを感じて欲しいとか

親のエゴが炸裂したところで、ハッとした。

教養が身に着かない=遺伝子が関係しているのではないか??

そういうのは、与えられて「心が動く」かどうかは、
遺伝子の問題と、環境の問題ではなかろうかと・・・

次女nanaがオタクに目覚めてしまってママ子は心配で仕方ないけれど、
それってママ子の遺伝子が「真の教養」(だと思い込んでいる歴史的な美術作品)だとか、クラシック音楽だとか、文芸を、拒否するようにできているからなんだよね。

ママ子の遺伝子が、バカだし、演奏会に頻繁に連れて行ってあげられない貧乏な環境だから、我が子の心にも、クラシック音楽は響かないし、芸術的と言われる教養が身に着かないんだよな。

ママ子は、実家が比較的裕福で、幼少期から高校入学するくらいまでピアノを習っていたし、クラシック音楽のコンサートも何度か連れて行ってもらっていたので、そういう空気には慣れていたし、
「良いモンだな」と思うことはできた。

しかし、パパ男はそんな経験皆無だし、
ママ子自身も、クラシック音楽は嫌いじゃないけれども、
流行りの洋楽の方がずっとノリノリで気分がアガるのだ。

親がバカで貧乏なくせに「本物の教養を知らないなんて!」と悲観することが、なんと愚かな事であろうかと、今だったら冷静に思える。

「推し活」と子育て【ガチ勢】

ママ子は、この本を読んでいて、すごく理解できる部分があったのよ。だんだん共感してきたの。

推し活が、ママ子自身の子育て・我が子への愛と、似ている部分があるということに。

もちろん、これは人それぞれである。

子育てに関心が無い人だったり我が子に執着が無い人もいらっしゃるからね。

ママ子の場合、全身全霊をかけてウザいぐらいの子育てを展開してきたのだ。それこそ、「ガチ勢」という言葉がぴったりの子育てであった。

自分の人生は、腐っていて汚くて、大嫌いだから、我が子に人生を捧げている。
自分自身の推しは、「我が子達」であることに、気が付いてしまったの。

ああ・・・推しが尊い・・・かぁ・・・

なるほど、我が子が「推し」っていうと、全てに説明がつくんだよな。

ママ子、自分の人生最悪だったけど、我が子の人生は、全てを投げうってでも幸せであって欲しいし、我が子の笑顔を守るためなら、何だってできる。

ああ・・・

あたしもオタ活みたいなこと、やってんじゃん・・・ってね。

もうさ、塾代なんて課金ゲームだって「二月の勝者」で言ってるけど、まさにその通りだよね。

我が子のためには、課金・課金・課金・・・

すっげーヤバいところまで、来ているなって思う反面

これ・・・もしかして・・・
されてる子ども側だったら、けっこうイヤだよな・・・

って、思ったよ。重すぎるっつーの。アイドルでもなく、間近でこれやられてたら、重いんじゃねーの?

親の期待に添えるように頑張る仮面の笑顔

もうさ、我が子がママ子の「推し」アイドルの設定で生きなきゃいけないんだったら、
必死に親の期待に応えて、仮面の笑顔張り付けて・・・

ってやってたら、すげえ大変じゃないのかな・・・ってちょっと思った。

もしかしたら、ママ子、我が子達にとんでもない事させてるんじゃないかって。

「こんだけお金払ったんだから、結果出しなさいよ!!」

なんて、酷すぎるよな。

そう思ったら、泣けてきたし、ママ子の子育て全部ダメダメだったわ~って、やっぱり反省した。

『推し、燃ゆ』の主題は、オタ活じゃなかった!!!

我が家の次女nanaは、オタ活・推し活する主人公に共感しすぎて、影響を受けすぎており、オタ活にますます精を出しているので、筆者の伝える主題は、届いているかどうか疑問である。

いや、読書なんて、読み手側が受ける印象が全てだ。

ママ子は、国語の読解力を小説を読むことに用いるのは好きではない。受け手の自由だから、教材として取りあげる事には、なんだか悔しい気持ちるが、
(感性を大事にしてほしいし、その時々で読み手の状況は変わるから心がどこでふれるのかは自由)

精読すればするほど、主題が明確になってきて、
あれこれ思考することの楽しさも味わえることこそが、読書のすばらしさと思う部分もある。

ママ子自身、しっかり精読できていないであろうし、専門家ではないので詳細をくどくど説明する気はないんだが、

主人公の苦しさだけは、非常に激しく、ママ子の心を貫いた。

そこが、そここそが、我が愛する次女nanaの苦しさであったのだろうと。

それを、実感して、白昼堂々、自宅で慟哭した。

誰も自分をわかってくれない。自分の苦しさを、わかってもらえない。

認めてもらえない。苦しい。つらい。苦しい。ツライ。

ママ子は、主人公の心の苦しさを、次女nanaの苦しみに重ねて、泣いた。泣いた泣いた。

どれだけ苦しい思いを抱えて生きて来たのであろうか。

現実世界での苦しみを忘れる、昇華できる、オタ活の手段

ホストにハマる若い子。

新興宗教にハマる、お年寄り。

オタ活に人生を捧げる人々・・・

みんな、苦しい、寂しい、ツライ人生を送っているのではないか。

それが、今の時代、オタ活がぴったりしっくり来たという部分では、非常に考えるべきところであると思う。自分の人生を投げうって「推し活」する若い人々。

やはりママ子は「もったいない」と感じてしまう。

その金で、何ができる??ってかんがえる。

自分の人生のために使ってくれ。
世の為・人の為に生きることの楽しさを味わって欲しい。

いや、、素晴らしさを経験するツールとなっていることは、「オタ活」にも通じるものなのか?

葛藤は、ある。

しかし、夢の世界は長くは続かない。

アイドルは容姿が変化することもある。人間だもの。心境の変化もある。
推しは、ただの「人」になる。by.「推し、燃ゆ」

それを理解したうえで、オタ活を楽しむというレベルの話なのだとしたら、やはり、自分の人生を少しでもよくしてほしいって強く思う。

学びは苦しみを伴うことはあるが、その人の血となり、肉となる。社会に出て戦う武器にもなる。

推し活を、死ぬ気で続けていたあかりちゃんの背骨は「推し」を推すことであった。背骨が折れたあかりちゃんは、どうなる?

未来永劫」という言葉が主人公の思いの中で何度か出て来るのだが、若者らしいというか、この言葉がママ子から見るとちょびっと稚拙に感じてしまってよい意味で愛しいし、「子ども」だと思ってしまうし、若いなぁって思ってしまう。

オタ活から自分の人生の意義、戦い方、生き方、それを学ぶことは、やはりできるのであろうか。卓越したオタク様ならば、それもアリかもしれないが、消費・消費・消費を繰り返して全てを消耗した先に、

ふと鏡を見た自分を、オタ活に人生を捧げた人間たちはどう思うのだろうか。

全然多様性を受け入れる社会になってない!!

ここまで独断と偏見で持論を展開してきて、大変申し訳ございませんでした。

不快にさせてしまった方々、本当にごめんなさい。

そして、ママ子がこの本を読んで一番に感じた事。

あのさ、世の中、全然多様性を受け入れる社会じゃないよな??

「みんなと同じにできない」ことは、悪いことではないだろ??

ただの「違い」なんだろ?同じように勉強させることって、無理があるんだろ??

「普通に生きる」ってなに??

「フツ―」ってなに??

社会に出て、しっかり働いて暮らしていくことは、正しい人間のくらしなのだとしたら、

そこまで育て上げてやる教育のベースが、日本では特に、全然できていないのだと思う。

なんで、世の子ども達は勉強嫌いなんだろう。

「推し」の情報は必死で覚えるのに、数学の問題、社会情勢、環境問題は「どーでもいい」話になってしまうんだろう。

推しも良し!数学も良し!ってできて、社会でどうやったら活躍できるか、社会に出た時にどんな役割を果たせるのか。どういう仕組みを作っていけるのかを、本気で教えてあげられる教育があるのならば、

この「オタ活」する若者たちは、ママ子のような「勉強がたいせつ!」と豪語する頭の偏った大人にこんなに偏見の目で見られることもないであろう。

全ての経験や知識が「こんなことに役に立つよ!」「社会ではこんな役割を果たしているんだよ!」って教えてあげたら、子供達も前向きに未来をイメージできると思う。

「漫画ばっかり読んで!!」「ゲームばっかりやって!!」って怒る必要が無くなる。

漫画の良さ、ゲームの良さが、何につながっていくのか。自分たちに何をもたらしているのか、を、表現させたり、情景に使われた事象や世界情勢、歴史などを教えてあげることも大切だ。

他者を、我が子を、受け入れよう。

ママ子、『推し、燃ゆ』を読んで、非常に深く胸に刺さったこの、偏見という悪を。

何より大切なことも、感じた。

「受け入れよう」ということだ。

他者を、受け入れよう。

「オタ活」をしている人は、今はそれが生きがいになっている。それは、今、その方々にはそれが必要なのだ。人生をかけて推しを推すことが必要なのだ。それが生きる支えになるくらい、色んな苦しさを抱えたり、原動力として必要になっているんだ。

受け入れよう。

我が子を、受け入れよう。

愛する次女nana。

優秀なお姉ちゃんを持ち、辛かった。
どんどん勉強ができなくなって、どうしようもない焦燥感と、やってもやっても成績が上がらない絶望感。

  中学1年生・次女nana、塾を辞めました。

すごく、ツラかったはずだ。

次女nanaは、「ママは、バカが嫌いだから」と、思っていた。だから、苦しくても頑張ったんだ。

ママ子は、どうにかして勉強を続けさせようと思った。
学歴コンプレックスの呪縛から逃れられなかったから。

だけど、そんな自分も受け入れよう。バカで、いいじゃん。しょうがないじゃん。

苦しかったよね。nana。

ママ子は、思う。
我が子の笑顔を守るためには、やはり、どうやったって必死こく。
人間だから。愛する我が子だから、もう、しょうがない。可愛くてどうしようもない。
悪いことは悪いと伝えることは必要。だけど、それも含めて全部受け入れたい。

『推し、燃ゆ』を読んだお母さん側からの、ひとつの意見として、ここに残しておく。

この気持ちを、絶対に忘れたくないから。

コメント

  1. 闇狩人 より:

    ママ子さん
    ご無沙汰しています
    オタ活でも良いから夢中になれる人ってすごいと思いますよ
    私の勤めている会社での採用基準の一つにもなっています
    (何か打ち込むものがある人の方がその為に頑張れるし、仕事なども工夫もすると考えています)

    また、私の周りの大学の先生たちは最近の子供は好きなものが無いって子が
    多くて困るって言っていました。
    やはりその子なりに夢中になることがある子は集中力や物事に対する感受性が素晴らしい傾向があるとのことでした。

    他の人に迷惑をかけないレベルであれば好きなものがある事はいいことだと思いますよ
    例え傍から見て浪費であったとしても、本人は満足しているのですから。

    例えば私の様に夢中になれるものが無いまま仕事をやめると大変なことになってしまいます
    (社会とのかかわりがなくなり、あっという間に孤立したり、認知症が進んだりする可能性が上がると思います)

    後、個人的にはオタクとマニアは違うと思います
    オタクは好きなこと以外で人とつながれなく、社会生活が送れない人
    マニアは好きなこと以外でも通常の社会生活が送れる人
    なんて思っています

    まとまっていなくて申し訳ないですが
    マニアが世の中を変えていくし、マニアと共に社会は作られ、社会を支えていくと思っています

    • ママ子 より:

      ・闇狩人さま

      お久しぶりです!!
      コメントありがとうございます。
      しかも、そんな風にオタ活も肯定したお考え、本当に敬服いたします。
      ママ子は、本当に考えが古くて、なかなか受け入れられなかったので、そういう新しい風をしっかりと受け止めていらっしゃる闇狩人さまは、素敵ですね。

      なるほど、マニアっていうと、かっこいい、スマートな印象を持ちますね。
      我が子は、ほぼ「オタク」の方です。
      後のブログに書きますが、対人恐怖症に近いような状況でしたので、
      オタ活が加速して、ネット上の人々との繋がりを求めるようになりました。

      でも、夢中になれるものがあるって、確かに素晴らしいことですよね。
      ママ子も、子育てを理由に自分を抑え込んで抑え込んで生きて来たので、我が子の自立とともに、少しずつ自分を取り戻したいと思うようになりました。

      勇気が出ました!
      本当にありがとうございます。