人生、こんなはずじゃなかった。

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悲観的なタイトルでお送りしています。今日は、ママ子の思春期時代の話。摂食障害になった時の話。ちょっとだけ聞いてよ。興味の無い方はスルーしてくださいな。

・・・

「また変なタイトルでおびき寄せて・・・必死だな」

「真正の”かまってちゃん”という解釈で宜しいでしょうか」

「どうせまたベストセラー本にでも影響されたんだろ」

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ちょっと悲惨な中学→高校。

ママ子は、高校生になり(滑り止めの滑り止め。ギリギリセーフで受かった、第三希望の学校である。)行きたくない学校に行く事になった

ここでのポイントは、中学時代から、「まあ、こうなるだろうな」の絶望感を携えていた事である。だって、勉強して無かったから。いつからか、授業の内容が理解できなくなり、基礎がわからないまま、「優等生」だと勘違いしている親が勝手に申し込んだ塾のトップクラスに入れられ(当時はテストが無く、希望で応用コースが受けられた)、高額なお月謝を親に払わせながら、塾で居眠りして時間を過ごすという最低サイアクの娘であった。

自分を偽って、「優等生のフリ」をしていた中学生

優等生の仮面をかぶり、『勉強できる風の子』を演じるようになってしまったので、頭空っぽ。バカなのに頭良いフリだけしているトンデモ中学生であった。

こんな理由から、高校に入学。そして、親に言われるがまま、一人暮らしのおじいちゃんと一緒に暮らす事になっていたので、大家族だったママ子は一人ポーンとおじいちゃんの家に引っ越す事になる。といっても同じ県内なので、車で一時間もすれば着く場所である。

ママ子の高校生活は、第三希望の学校に行き(しかも女子校)、いきなり親元を離れるという、二大変化を受け入れながらのスタートとなる。

これ、確実に高1ギャップってやつだよな??

当時は「中1ギャップ」だの「高1ギャップ」って言葉無かったけど、確実に高1ギャップだったんだよな。ママ子。

家族と離れての新しい生活プラス、知らない子ばっかりの教室。女子校なので、大好きな『男子』がいない教室・・・

おいおいおい

どうしよう、って思った。不安で寂しくて逃げ出したくなった。

自分の家に、居場所が無くなった…高校生

ホームシックで実家に電話すると、父親が出て、

いちいち電話してくるな!」と怒鳴られた。
絶妙なタイミングで電話してしまったらしい。
機嫌の悪い父は、もう、誰にも止められないのだ。
何か事件が勃発して暴れていたんだろう。

当時のママ子は、その瞬間、大家族から「捨てられた」んだと思った。

思春期ママ子、怖くなった。
あまりの環境の変化に、怖くって悲しくて、泣いた。
泣いた私におじいちゃんは、オロオロしていた。
一緒に住んでいたおじいちゃんは、申し訳ないぐらい優しかったが、当時のママ子はその優しさに甘え腐って、思春期特有の刃でおじいちゃんに八つ当たりするしかなかったのだ。ここでも最低の孫であった。

孤独な生活でメンタルのヘルスも崩壊していく

「捨てられた子」ママ子。このドラマティックな設定にママ子は酔いしれた。夢見がちなのだ。主人公→可哀想な自分。十分なセッティングであった。泣いた泣きわめいた。そして・・・

ママ子はその日から、食べ物を食べまくった。
生まれつきの食欲旺盛さに加え、何故か食べ物を食べる事にだけ、没頭するようになった。
帰宅すると物凄い勢いでおじいちゃんが作ってくれた夜ご飯を食べ、(自炊していると自慢気に周囲に吹聴していたが、実際は料理なんてしなかった)その後、おじいちゃんが買ってきてくれた美味しいパン屋さんのフランスパンを一本まるまる、高カロリーの殿堂、ピーナッツバターをたっぷりつけて食べまくった。たらふく食べた。

食べても食べても足りなくなった。お腹がきつくて動けなくなって、ウトウトして、起きるとまた食べた。

前向きになれない悩みに

摂食障害のはじまり

毎日食べた。放課後部活を終えて、帰宅するのが待ち遠しかった。孤独な高校生活は、「食べる事」で埋めるしかなかった。友達は、いた。申し訳ないぐらい良い友達ばかりであった。でも、友達には嘘ばっかりついていた。もともとデブなのが、毎日大量に食べまくる事で、もう、巨漢の領域に達していた。学校では「ダイエット」などといってヨーグルト一個でランチを済ませて、家で食べまくった。高校二年まで、そんな日々を過ごしていたら、体系は力士である

「お姫様」願望が強かったママ子なのに、体系は力士である(←二回目)。ファッションには憧れるのに、着られる服が無くなってしまった。ここでも理想と現実の差を突き付けられるママ子。

唯一受け入れてくれた古着ファッションにハマる青春

その解決策として「古着」を選んだ。古着屋は天国だ。サイズ展開、ハンパ無いし、自己主張もできる。目立ちたがり屋のママ子は、そこで洋服を買いまくった。お金は・・・おじいちゃんに無心していた。ここも最低。おじいちゃんはいつも、お金をくれた。「3万円かかるんだけど・・・」というと、すぐに出してくれた。それで食べ物と古着を買いまくった。

気が付いたら、高3じゃん?大学受験じゃん?

勉強?ある程度よくできていた。
それ相応の学校に入る事によって、調度良いレベルだったんだろう。
試験前にガーっとやれば何とかなった

だが、三年生だと受験だ。私立の学校なので、付属の短大があったのだが、ママ子、そこにだけは行きたくなかった。大学は四年と、思い込んでいたし、やっぱり高校受験の屈辱もあったので、リベンジしなくてはならなかった。受験生になる事を選んだ。「絶対に共学の大学に行くんだ!」と、決意を新たにして。そこはもう、ママ子のプライドだったり、もともとの見栄っ張りな性格、父親の圧力と、使命感?あと、女子校からの脱出と・・・諸々の理由はあったのだが、「優等生は四年制の大学に行くもんだ」というママ子の勝手なレッテルがそうさせたのだ。

塾は、相変わらず行っていたんだと思う。親が勝手に申し込んで。ママ子、その頃には同じ高校のお友達と塾に通っていて、楽しんでいたのだ。

何故か、突如受験モードに入ったママ子。

予備校で、「勉強」の楽しさを味わう

塾に行き、夜は勉強をする日々に突入した。ラジオをかけて、当時は「赤坂泰彦のミリオンナイツ」なんか聞いたりしながら。
一人で笑いながら勉強するのも楽しかったっけ。
食べ物は相変わらず食べていたが、受験モードの時は勉強の方が大事だったりした。
長期の休みには、朝6時に起きて7時に開く自習室めがけて突進し、ひたすら勉強した。いや、勉強をしているフリをしていたのかもしれない。そして・・受講した授業で運命的な出会いをする。前ブログでも書いた、古文の先生、吉野先生に出会う事になるのだ。吉野敬介先生。ヤンキーから青山学院へ合格して、予備校講師になった先生である。

吉野先生のおかげで、勉強することを信じる事ができた。そこからは、自分で参考書探して、自分で勉強した。バカなりに、必死だった。もちろん、センター試験を受けられるほど、頭が良くなかったし、算数や理科の復習がラスト一年でできる自信が無かったので、私立文系の大学しか受けられなかったわけだけど・・・

志望校は、三つ。共学の私立大文学部&経済学部、そして、女子大の文学部。全部四年制大学。落ちるわけにはいかなかった。

それでも、二年間食べてばっかりで潰した高校時代を取り戻す事は容易じゃなかった。必死で頑張ったのだが、結局偏差値は、第三希望の女子大の文学部に届くのがやっとだった。

大学受験もムリムリ受験

ママ子なりに頑張って、最終的な模試の結果、第一希望の大学Ð判定、第二希望の学部c判定、第三希望の女子大B判定、ぐらいになった。

そして、1年で20キロほど痩せるという現象も起きていた。勉強に没頭したのだ。プライドも食欲よりは上だったか。(もちろん、その後ゆるくリバウンドしてしまうのだが。)

ムリムリ受験。結局、憧れの共学の大学は全滅し、やっぱり滑り止めの滑り止めの女子大への進学となるのだが、やっぱり、合格発表の日は嬉しかった。

四年制大学に行ける事に、心底ほっとしていたし。親も、喜んでくれた。壮絶な日々はまだ続くのだが、とりあえずの大学合格

人生、こんなはずじゃなかったけど。

小さい頃から「魔女っ子」に憧れ女の子は変身するもんだと思ってた。大きくなったらみんな美人になって、スタイルが良くなって、恋をして・・・ってのが普通だと思っていた。

お金は、無くなるなんて思わなかったし、顔にニキビなんてできると思わなかったし、青春時代に、漆黒の地獄を見るだなんて、思いもよらなかった。

優しい人間になれると思っていた。素晴らしい人格が勝手に形成されるものだと思っていた。
自分はお姫様になるんだと思っていた

そんな自分が、思い描いていた未来とは、だいぶ違う所に来てしまったけれど。現実は残酷だね。

出産を経験して、人間として生まれ変わった

命よりも大事な、愛する子供達が生まれた今、ママ子はやっと、「自分」と向き合えるようになった気がするんだ。他の人の事ばかり気にして、恐れて、取り繕って、見栄張って、ずいぶん疲れる事ばかりしてきた。

今も、少し疲れる事はあるけれども。

あの当時の、泥沼に埋もれていた頃よりは、ずっと幸福だ

年を取るって事は、嫌なんだけど、ママ子はもう、あの頃には戻れない。今は亡きおじいちゃんには「ごめんなさい」を言いたいけれど。

こんな人生を歩んでいるママ子が、今、一番大事にしている事は、自分の子供に愛情をいっぱいかけること。そして、それを伝える事
かつての自分は、親の一言で傷ついてしまった。「捨てられた」と思い込んでしまった

確実にママ子の両親は、ママ子を愛してくれていたのであったが、ママ子は傷ついたのだ。そして、闇に閉じこもってしまった。だから、自分の子供には、そういう思いをさせたくない。これだけは絶対。

こう思えるようになった自分を・・・最近ね、

有り難いと思えるようになったのだ。

あの過去があるから、今、ママ子はわが子をこの上なく大切にしようと必死なんだって。

あーなんか、また受験と関係ないブログに成り下がった。ごめんなさい。

また気を取り直して、頑張ろう。

アンチ1
アンチ1

排泄物出してスッキリした感出して、どうすんだよ

アンチ2
アンチ2

何のメリットも無い長文を読まされて、疲れました

アンチ3
アンチ3

だからもう、このブログ読むのやめようぜ

だはー!メンゴメンゴッ!!

関連記事 ⇒ ママ子の学歴コンプレックス。

コメント

  1. チビの母 より:

    こんにちは。

    過去のママ子さんがいるから、今のママ子さんがいるんですよ(*^_^*)
    その経験がなかったら、今みたいに良いお母さんじゃなかったかも知れないのに(*^^)v

    • mamako より:

      ・チビの母さま

      お返事が遅くなってしまい、申し訳ないです(ToT)

      ありがとうございます。過去の自分からは逃れられないけれど、経験は現在の自分の生き方を反映するものですものね。全然「良いお母さん」じゃないんですけど(笑)