我が子の不登校から学んだこと

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次女が不登校になってから、3年が過ぎました。現在は、ほぼ休むことなく定時制の高校に通っています。
もちろん、今の学校でも色々問題抱えているけれども、それをなんとか乗り越えながら、頑張っている彼女。

今回は、親として、娘の不登校から学ばせていただいたことを、記録しています。

※「序」はご挨拶文(駄文)です。お急ぎの方はスルーしてくださいませ。

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序:癌でガーン!意外と深刻な状況になってるおいらの病状

どうもこんドスは。明るく元気でバカだけが取り柄のママ子でっす。

手術日が近づいてまいりまして、来月半ばなんですけどね。パパ男と一緒に術前の説明を受けたんですよ~。

そしたら、「リンパ節に転移してっから、リンパ郭清して、手術後も1年間、抗がん剤治療やるから、シクヨロ♪」みたいにもうさ、淡々とショックなことを告げられて、びっくりした。

初期って言ったじゃーん!まさか、術後も抗がん剤やると思わなかった。エコーの時、脇もやたら見てるなあ、って思ってたけど…。

ほんっともう、元気になってバリバリ仕事しようと思ってたのに、一年間かよ~💦しかもそのあと、放射線治療やるかもしんないって言われてさあ…😿

めっちゃ凹んだ。

パパ男は「そうだろうと思ってたよ、あんなにしこりがデカかったんだから、今時、そこまでデカくしてから病院に来る人いないっしょ」

とか、けっこう冷静でさぁ…。

まあ、何度も言うけどさ、ママ子、今、けっこう幸せっつーか。家族みんなが元気で仲良しだしさ。

3年前に比べたら、ママ子、自分が癌でもめっちゃ元気なんだよな。髪の毛ハゲてんのだけは難点だけど(;^_^A

クッソー!こうなったらやってやる!!人生、どうしようもない時ってあるからさ。そういうの全部、次女が教えてくれたの。ママ子、人間としての器っつーの?けっこうデカくなってきたんじゃないかと思う。

ガッツ!ガッツ!

アンチ1
アンチ1

うるせーな。石松かよ!自己管理もできず中学受験とかほざいてた毒親の末路にふさわしいなw

アンチ2
アンチ2

リンパ郭清しても、リハビリをしてしっかり治療すれば治りますから、あまり大袈裟に言いふらさない方がいいですよ。

アンチ3
アンチ3

健康診断受けなかったから、自業自得。永遠に休んでろ。ブログの閉鎖とともに…w

アァーン、アンタ達、病人にはもっと優しくしてよね!!
健康診断の大切さ、アラフィフになってようやく気付いたわ。マジでみんな、行ったほうがいいよ。医療費かかるとかグズグズ言わずに、行ってね☆癌保険も入ってないママ子、悲惨だよ~(゚∀゚)

今日も元気にいってみます。

今日は、我が子が不登校になってから、どんな対応をしてきたか。
そしてママ子が不登校から学んだことを記録しています。

完全不登校になった時、親はどんな対応をしたらよいのか?

マジで、「ママ、もう卒業まで中学校に行きたくない」って宣言された直後は、ママ子は本当に自分を責める日々だった。

毎日隠れて泣いた。元気でファニーで超絶可愛い、我が家の爆弾娘が…。

こんな時、親はどうしたらいいんだろうか?これはもう、個人の抱えている問題によるものだから、何とも言えない。ママ子のやり方が正しいとは言えないし、人それぞれ、その子に合わせた対応が必要なのだと思う。

ママ子の場合は、精神科の心理士さんに言われた言葉を守ることに専念した。
おだやかに過ごさせてあげてください

それを徹底した。我が家で実施した対応の一例を、記録しておく。

「規則正しい生活」「バランスの取れた食事」とかは二の次。

我が家は、暗黙の了解で規律に縛られた生活であったと思う。昔から朝は早起きしてそろばんや、チャレンジタッチで勉強していたため(今は誰も朝勉やってませんw)、幸い、早起きの習慣は備わっていた。

 <関連記事>⇒習い事・そろばん

そんでも、うつ状態になった次女の生活リズムは少しずつ崩れていった。朝、8時30分を過ぎても起きてこない時もあった。9時半頃に起きてくることもあったかな。ママ子は、起こすことをせず、好きなだけ寝せておいた。そして、次女が部屋から出てくると笑顔で「おはよう!よく眠れたかな?」と穏やかに挨拶し、次女を抱きしめた。抱きしめさせてくれない時もあるけどね。

もうね、規律に囚われちゃダメなんよ、こういうの。マジで親が「ねばならない」思考に囚われると、絶対うまくいかないの。専門家が「規則正しい生活と食事を…」とかアドバイスしてんの見ると、マジでこの状況でそんなことさせるなんて、現実を理解してないな、って思う。

食生活は、とにかく、次女が好きなもの一応、健康によさそうな美味しいごはんを作って、食べたいものだけを食べさせた。うつになって、偏食が激しくなった次女は、ことごとく野菜を食べなくなっていた。それもOK。
ジャンクフードが大好きな次女に、ジャンクフードが食べたいと言われば、それも一緒に食べた。
カップ麺を買いに、一緒に買い物に行って、「おいしそうだね、食べてみよう!」って。
申し訳程度に野菜も用意するが、気分によって食べてくれる日と食べない日がある。

ハタから見たら、「わがまま放題」にさせていたと思う。
次女の言葉を否定しない。全肯定していこうと、ママ子はそう思った。今まで、制限しすぎてたから。次女に、選ぶ権利を(遠まわしにでも)与えてこなかったんだもの。13年間、そういう経験のチャンスを与えてあげなかったんだから。

ネット依存OK。ゲーム、youtubeも、OK。

もうこの辺から、マジでダメ親か?こいつ。って思われると思うんだけど、ママ子のやってきたことを正直に書く。

次女の要望は「インターネットを自由にさせてほしい」ということだけ。

ネット依存の第一歩になるわけだけれども、そんなの死の恐怖に比べたら、背に腹は代えられない。ママ子は二つ返事でOKした。

その時の次女には、ルールなんて守る元気もなかったんだから。とにかく現実から逃げたかったのかもしれない。

四六時中、ネット&ゲーム三昧の日々が始まった。

<関連記事>中学1年生。対人恐怖症と、SNS(ネット)依存問題

ママ子は、ネット三昧の次女を目の当たりにして…最初こそ陰で泣いていたけれども、しばらくすると、次女は、ネットの世界で見聞きしたり、見つけたものを、沢山話してくれるようになった。情報を共有してくれた。好きなVtuberや、地下アイドルを見せてくれた。

そりゃあ、最初は、おどろおどろしい、いわゆる「病み系」のものばかりで度肝を抜かれたが、一緒に楽しんだ。そのうちママ子も慣れてきて、そういうものを好きだと言う女子の気持ちも、ちょっとは理解できるようになったし、「あなたは、それが好きなんだね」って肯定してあげるのが、良いのだ。自分とは違う人間なんだもの。

リビングのテレビは、次女がいるときは、次女の好きなものが流れる。もちろんyoutubeの配信系とか、「うたみた(歌ってみた)」系とか、ゴリゴリの地下アイドル(男性も女性も)。
そうしないと、次女は部屋に籠りっきりでリビングに出てきてくれないのだ

過去の我が家は、家族でNHKのニュースを見たり、情報系の番組、時事問題系の番組をママ子が選んで、テレビの番組を決めていた。教育によさそうなものを、無理やり見せていたのだ。ママ子は、あらゆる場面で、子供たちに選ぶ権利を与えてこなかった

一見、王様のようになった次女だ。それでも、顔を見せてくれて、ご飯を食べてくれることを優先した。この時は、次女の気持ちを最優先にして家族が動いていた。次女は、心の病気なのだから。休まなくちゃいけないし、労わらなくちゃならないんだから。どんなに長い年月を要するとしても。

不登校は、なるべくしてなった…。

マジで、不登校の理由って、探せばいくらでも出てくる。

我が家の場合は、いじめ、部活と通塾、偏差値、姉妹問題、ママ子の教育虐待…

それらの問題がぜーんぶ、出てきた。

そう。なるべくしてなったんだ。

最初は、「今の時代、不登校なんて誰でもなっちゃうから、交通事故にでも遭ったと思って…」という慰みのお言葉を頂戴することもあったんだが、

我が家の場合は、違うと思った。ママ子が、この子をそういう風に育てたんだ。これがマジで一番グッと腑に落ちるんだよな。

決め手は、次女の言葉。「生まれた時からずぅーっと生きるのが辛かった。」だった。

<関連記事>⇒ 【思春期】親として一番辛い言葉をもらった

打ちのめされた。
愛する我が子が、生まれてからずぅーっと辛かったって。

笑いあった時だって、「可愛い子~!」ってギューって抱きしめたことも、数えきれないほど。それでも、彼女は、辛かったのだ。それが真実。

限界に達した、逃げ場が無くなった

簡単に言ってしまえば、八方塞がり。

家族も、学校も、塾も、部活も、先生も、友達も…。誰といても、どこにいても、安心できる場所が、無くなってしまったのだろう。

そして、現実から逃げて、ネットの世界に逃げて、部屋に閉じこもって社会との接点を、つながりを、切ってしまったんだ。

それしか、その時の彼女にできることは何もなかったんだ。死ぬ寸前のところまで、絶望していたんだ。

全然ダメじゃないのに「ダメな自分」に絶望して、自分を傷つけて。
どれだけ苦しかっただろうか。孤独だったんだろうか。
絶望した気持ちを、あの小さな胸の中にしまって、生きていたんだ。13年間も。

ママ子は、それに気が付くのが遅すぎた。

いや、命を落とす前に気が付くことができたから、幸運だったのかもしれない。
いやいや、彼女の中学校時代を貴重な青春時代を台無しにしてしまったのだ。幸運だったなんて言えない。

ママ子は、ここから、次女の心が安らかになるように、それだけに集中して気を配った。

うつ状態の娘に、絶対にやってはいけないこと!

ママ子は、自分の中で、ルールを作った。

自分の学歴コンプレックスの教育虐待が招いた事態ということを自省して、
我が子が「困らないように」と、なんでも先回りして子育てしたことを自省して、

絶対に 勉強のことは言わない。提案しない。プレッシャーになりそうな事も絶対言わない。

ということを、徹底した。

例えば
「そろそろ学校に行ってみたら?」
「進路は、どう考えてるの?」
「模試、受けてみない?」
「すらら、っていう教材使ってみる?」

などなど…これらの言葉を飲み込んだ。湧き出る不安を、飲み込みまくった。
娘の不登校問題を抱え、将来を案じる母親として…大多数の方は、この不安をわかっていただけるだろうか。
心配だけれど、娘の心の回復には時間がかかるということは、腹をくくったわけで。
⇒ 我が子が「うつ状態」になった時のこと~絶望期~
⇒ 我が子が「うつ状態」になった時~精神科通院編~

なんだかんだ言って、超真面目チャンな次女である。
上記の事は、言わなくたって痛いほどわかっているだろうし、そんなことを考えたくないほど、傷ついているのだから。

ママ子は、拷問を受けるように、不安な気持ちと戦いながら、次女の心の回復を願って、いつも笑顔で穏やかな母として、生まれ変わった。もちろん、普段の下品なユーモアは、次女の笑いを誘うこともあるので、そのままに。

ひたすら、次女から出てくる言葉を待った。

次女の事を、改めて知る機会が来たのだ。これまでとは違う、ありのままの次女を

そうしたら、ほんの少しずつ、少しずつ、次女の笑顔が戻ってきた。

3歩進んで、2歩下がる。そんな感じで、次女との日々は、ゆっくりゆっくり。時が流れた。

次女は、その後、自分で高校に行くと言い、自分で受験準備をした。もちろん、サポートとしてママ子は、学校見学に一緒に行ったり、情報が欲しいと次女に言われれば、提供した。求められれば、いつでもなんでも、協力できるように準備していた

⇒ 2024年、我が家の高校受験

「信じて見守りましょう」って、どうなの?

もうこのフレーズ、不登校の親にとってはおなじみの言葉なのよ。

心理士さんとか、色んな人が言う言葉。

これって実際どうなの?
いつになったら我が子が動くの?
ってみんな思うんだけど、結局ママ子は、信じて見守った。
マジで、次女のレジリエンスっつーの?
立ち上がる力を信じたんだよな。

心が休まれば、必ずいつか、必ずうちの娘は、立ち上がるって信じてたし、次女が苦しかった日々…「13年かけて待とう」と心に決めてたから、ママ子は不安になったり焦ったりすることもたくさんあったんだけど、どうにかこうにか待つことになった。

そうして少しずつ、娘の心とともに、自分の心に向き合うようになっていったのかも。

娘のおかげで、自分の過去と向き合えた。

次女が高校に入学して、毎日学校に通うようになって、ママ子は少しの安堵と、「また不登校になるかもしれないから」という覚悟を持って、毎日を過ごした。

次女は、学校で起こったこと、笑った事、嬉しかった事、嫌だったこと、ムカついた事など、なんでも話してくれるようになった。次女が食卓にいるときは、次女中心の話題。今まで気が付かなかったが、それまでは長女がおしゃべりだったこともあり、長女が話題の中心になっていた事も多かったかもしれない。

平等に子育てすることって、本当に難しいけれど、そうやって次女に我慢させていた日々が浮き彫りになったことは、我が家ではとても良い事であったのだ。もちろん長女も、次女の状況を理解し、一緒に散歩に行ってくれるなど、次女をサポートしてくれていた。優しい姉である。

ママ子は、我が子の不登校を通じて、自分の心にも、やっと目を向けることができた

不安で不安でたまらなかった子育て。そんな風にした自分の生い立ちや、考え方のこだわり、自己肯定感の低さ等に向き合った。

幼少期・少女時代の自分を、否定しない

ぶっちゃけ、ママ子も歪んだ子育ての被害者であったかもしれない。
父親の存在。
ママ子の学歴コンプレックス。

だけど、それ以外にも、本来の性格だとか、育ってきた環境だとか、理由は何であれ、ママ子の心にもかなり大きい傷があって、それがあったからこそ、辛い時代が多かった事も事実。10年間摂食障害に苦しんだ過去もある。

そんな自分みたいな人生を歩んでほしくなくて、子どもたちの幸せのために、半ば恐怖を抱えながら自分を見失った子育てをしてしまったのだ。

だけど、「大嫌いな自分」というところがそもそもの間違いだったのだ。
幼少期の自分、少女時代の自分の苦しさに寄り添ってやることをしていなかった。

ママ子は、次女の苦しさを受け止めながら、過去の自分、幼少期の自分の苦しさや悲しさも受け止めることができるようになってきた。

あの時、まっすぐ頑張る事ができなかった自分のことを、苦しかっただろうね。って。声かけてやりたいし、過去の自分を愛しく思えるようになってきた


今一世を風靡しているnono girlsの「ちゃんみな」の言葉を借りるならば「過去の自分を讃えてほしい」。

マジで誰かが言っていたけれど、ノノガ見ると、カウンセリング受けてるみたいに心が洗われたし、ワンワン泣いちゃうし。

こんなに泣いたの久しぶりっていうぐらい、ママ子にとっては心に響くドキュメントであった。

不登校は、我が子からのメッセージ

今日も長々とすんませんでした。

完全に個人的見解であり、気持ちを害する方もいるかもしれない。

そんでも、一例として、我が子の不登校に苦しむママさんたちの救いや共感になったらいいな、って思って書いてみました。

不登校の親って、社会的にめっちゃ責められるんよ。
「不登校は親のせい」って、メディアで言われたり、みーんな暗黙の了解みたいにそう思われるしさ。

母親としては、すごく傷つくよね。

だけど、そんな言葉よりも、まず、目の前の我が子と、それから自分を救うことを考えてほしい。

それにはどうしたらよいのか。

我が子の心のメッセージを受け止めてほしいな、って思う。

きっと、いや絶対に、苦しんでいるはずだから。
いや、きっと、あなた自身もかなり傷ついて苦しんでるんだよね。

時間かけて、やっていこう。うちら、仲間だよ
そう言いたくて、この文章を書きました。

またいつ、うちの子が苦しくなって、学校に行けなくなる日がやってきても、大丈夫だよ!って言えるように。
自分に対しても、大丈夫だよ、って言えるように。

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