我が子が「うつ状態」になった時~精神科通院編~

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中1の終わりに不登校になった、、愛娘。うつ状態ってどんな状態?親は、どうしたらいいの? 絶望の中、手探りであがいてた日々を記録しています。

※「序」はご挨拶文(駄文)です。お急ぎの方はスルーしてくださいませ。

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序:抗がん剤治療と、アンチエイジング

ねえ、もうホントやだ。

抗がん剤治療で地味に困ってるのが便秘。
病院で処方してもらった「便をやわらかくする薬」のせいかどうかわかんないんだけど、おならが止まんない。誰か助けて。ブーブーブーブーってほんともう。

会話中にブッ「あっ!」ブッ「アアッ!」っつって。マジで元気の良い音で。
パパ男なんておならするたび「イヨォーーーッ」「フォーウ!」とか歓声上げてくるから

ママ子:「やだゴメンッ!マジごめん!!」って謝りまくり。

おならを許してくれる旦那様で本当に良かった…

そしてもう一つ。お肌のくすみとむくみ。

ママ子はお肌はツルツルタイプなんだけど、さすがにシミが増えた気がするのよ。全体的にシミが増えてくすんだ気がする…。もうほんっとヤダ。最近だと、近所でも皮膚科でシミ取りしてるママさんも多いから、医療に頼るしかないの??そんなお金ないんだよな…。

ママ子は、頂き物のヒルドイドを顔にべたべた塗り、目の周りの皺の多い部分には、ニベアの青缶塗ってる。それで目の周りは少し改善した。ニベアの青缶、最近使ってる人いんのかな?ママ子、藤原紀香がおススメする前から愛用してるかんね。匂いも好きなの。

アンチエイジングってママ子にとっては永遠のテーマ。アラフィフでどんどん衰えていくイメージだけど、ママ子の場合は肥満児で生まれたんで、昔からデブ&ブス人生を歩んできた身。それが今、少しやつれてどんどん調度イイ感じに仕上がってる。この体形で10代に戻れたら、ママ子はもっとキラキラした青春が送れたんじゃないかって妄想止まんなくなるんだけど。
「最後から二番目の恋」のキョンキョン、マジで素敵カワイイ。めざせ!シャレたおばあちゃん

・・・

アンチ1
アンチ1

いちいちキモいな。そのデカ顔でキョンキョンめざすなら顔の骨を削れ。まずはそこからだ。

アンチ2
アンチ2

シミ取りもエステも自分で稼いだお金で自己メンテナンスしております。身だしなみとして当然です。

アンチ3
アンチ3

お前マジで家の中で屁こきながら会話とか、最低だな。不登校の次は離婚問題勃発すんぞw

やーん。だってもう、トイレまで間に合わないんだもーん。なんならスカしは外でも常習犯だよ。さすがに電車の中ではやったことないけど…。

って、下品な話ばっかですんません。
今日は、前回に引き続き、
  前話⇒ 我が子が「うつ状態」になった時のこと~絶望期~

次女の不登校時代の続編。
殻に閉じこもってしまった次女が少しずつ動き出した時のことを記録しています。

精神科初体験!精神科の選び方

精神科に行った時の話は過去記事にも少し綴っていたんだけど。
<関連記事> 14歳から、子育てのやり直しをしています

今回は、どうやって病院選びをしたか、ということを書いておく。

次女が、「ママ、病院に行きたい」と言われ、ママ子は「よっしゃ!連れていくぞ!」と、次女の要望通りに連れて行こうと思った。精神科に行く=薬物に頼ってしまい、ODをして薬物に溺れるのではないか、という不安は、ほんの少しだけあったんだけど、そこは、次女のことを信じて(←いつか必ず自分を大切にしてくれる日が来ると信じて)医療に頼ろうと思った。

精神科選びは口コミよりも、頼りになったこと

そんでまず、浅はかなママ子は、ネットに頼るじゃん?

近くの精神科、児童精神科(15歳までは児童精神科なのだそうだ)、心療内科を検索してみる。すると…もうね、精神科のレビューや口コミって色々酷いこと書いてあるのが多いのよね💦まあ、患者さんのほうも、心が病んでしまっているわけで、通常よりもこう、気持ちも敏感に反応しちゃうのかもしれないけども、検索すればするほど、どこに行っていいかわからなくなってしまった。

困り果てたママ子…

当時、ママ子はいろんな公的機関にお世話になっていた
色んな場所に、相談に行っていた。だって、一人で抱え込んでたらママ子まで病んでしまいそうで。ぶっちゃけ、身内や友達に相談できる内容でもないわけだよね。

だから、公的機関に思いっきり頼ってたの。

そこで、自分の住んでいる地域の保健センターに電話した。
ママ子は、保健センターの保健師さんにも、娘のリストカットの事で相談に行っていたので、話が早かった。ちなみに、保健センターにも定期的に心理士さんが来てくれていて、相談できるシステムもあった。娘の状況を話したら、心理士さんの相談にも予約を取ってもらえて、娘と一緒に保健センターに行って話を聞いてもらうこともできた。

親子別々の部屋に通してもらって、個別に話を聞いてもらえた。
娘⇒心理士さん。ママ子⇒保健師さん

涙ながらに話すママ子に、ものすごく優しい言葉をかけてくれた保健師さん。マジで忘れらんない。
そこで、ネットで検索すると口コミが酷くて、どこの精神科を選んだらよいかわからないと相談した。

数日後、保健師さんは、めぼしい精神科や児童精神科をピックアップしてくれて、相談に乗ってる人からの情報や利用している人々の情報をもとにして、一番よさそうな場所を紹介してくださった。

さっそくネットで検索すると、古いけれどもよさそうな病院だったので、早速予約の電話をした。

娘のほうも、優しい女性の心理士さんに話を聞いてもらって、少し安心したようだった。

<注意>精神科の初診の予約が取りづらい!!

マジで、これは覚悟しておいてほしい。

人気の病院であればあるほど、初診の予約が取りづらい。

たしか、ママ子も電話で予約したとき、1~2カ月先の初診になった。

そのあとは、診察の時に次の予約が取れるので、2週間後など、すぐに予約ができたんだけど。

とにかく予約するときは、「すぐに診てもらえないかもしれない」ということは覚えておいていただきたい。

精神科に行くときに準備したこと。

精神科に通うときに、ママ子は、準備したことがあった。限られた診察時間やカウンセリングを有効に使いたくて、インターネッツで調べまくって、自分の気に入ったやり方を導入した。

幸い、関わってくださる先生方にも恵まれた。っつーか、次女が気に入った。

穏やかな主治医の先生(3分診療)と、心理士の先生のカウンセリング(45分)。最初の頃は、2週間に一回の通院、少し次女が落ち着いて来た頃には、月に1度の通院となった。中一の最後から、中2の途中まで…トータルで9カ月ほど通院したかな。

ここでは、ママ子が精神科に行くときに、持参したもの、事前に準備したことなどを記録しておく。

初回は、親の状況と、子どもの生い立ちを記録し提出した。

ママ子は、自分にも問題があったもんで(摂食障害10年や、厳しい親に育てられたことや、アダルトチルドレンぽいとこ)などをwordで書いた。

注意事項としては、これらの記録は、次女に見られないように気を付けた。ママ子は摂食障害のことや、両親とのことを子供たちには話していないので、受付に行ってその旨をお伝えし、主治医の先生や心理士の先生にも、母親のことは、次女には言わないでほしいと、文面に書いた。

次に、子どもの生い立ち。これは、成長していくうえで、どんな子なのか。発達は問題なかったか。学校の成績、中学受験のこと、学校に行けなくなった理由で、いじめなど、思い当たることなどを書いた、いや、その他にも、ママ子の教育虐待が原因で、不登校になったのではないかということも、書いた。

箇条書きにして、わかりやすくまとめたつもりだが、それぞれA4サイズ1枚程度のものを作成した。

これを、主治医の先生と、心理士の先生にそれぞれ渡した(←ネットの口コミで主治医と心理士の先生の連携が無いとを読んだので、分けて渡しました)

先生たちは「ありがとう。たくさん辛い思いをしたね」と優しく受け入れてくれた。

※ちなみに、このやり方は、賛否両論あると思う。あまりに親の主観で我が子の状況を書いてしまうと、心理士の先生に変なバイアスがかかってしまうんじゃないかって…

なるべく客観的に、事実を書いたつもりだけど…

毎回のカウンセリングで、心理士の先生に渡したもの

次に、毎回心理士の先生にお渡ししたものとして、2枚のプリントを作成して持参した。

一つ目は、下記のサイトのA4判の「調子を伝えるシート」を使った。

調子を伝えるシートPDFスケール付き(子ども情報ステーション BYぷるすあるは様)
※カードではなく、下のほうにあるシートの方です。

イライラとか、不安とか、そういう気持ちが、今どれくらいあるのかを先生に伝えるシート。

これにはスケールがついていて、その時の気持ちを数字で表せるようになっている。
次女が、どんなことに困っているのか、今、どんな気持ちでいるのかを先生に伝えて、カウンセリングに役立てて貰おうとした。

これ、実は、ママ子は次女とのコミュニケーションの一つとしても利用していた。診察の前の日に、機嫌のよさそうな状況を見計らって、インタビュー形式で聞いてみた。

今、次女がどんな気持ちでいるのかな、って知れるのも嬉しかったし、会話の中で笑顔がこぼれることも多かった。当時、対面で話す相手が家族しかいない次女。ネット上には、友達がたくさんいたようであるけども。

そして、もう一つお渡ししたのは、次女の2週間(1カ月)の様子。
・前回のカウンセリング後、次女が話してくれた感想や、変化など
・家族との会話で印象的だったこと、家族の中で起こった事件(良いことも悪いことも)
・次女が話してくれた悩み事
・親が不安なこと、相談したいこと

 などをワードで1枚にまとめた。

心理士の先生は、このプリントをとても喜んでくださって、次女に適切なアドバイスをしたり、困りごとを解決する糸口を話してくれたりもした。

心理士のカウンセリングは、親の時間も少し作ってもらった。

ちなみに、45分のカウンセリングのうち、35分は、子どもと先生のみ。

残りの10分は、親と先生のみ、と、分けて話す時間を作ってもらった。

もちろんこれは、次女の希望で親が同席せずに、先生と話したいということだったので、このようにした。

これがまた、ママ子の心を救ってもらえる瞬間でもあった。

ママ子は、不安に思っていることをプリントに書いて、それについて、なだめてもらったり、アドバイスを頂いたりした。

次女のカウンセリングが長引いて、ママ子の時間が無くなることも何度かあったけれど、それはそれで次女のためになることだから、もちろん喜ばしく思ってた。

不登校の親のメンタルサポート。公的機関に頼ろう。

これは、ママ子の心をどうにかしたいための行動だった。

ママ子は、公的な機関…教育委員会だとか、相談窓口だとか、そういう場所に足しげく通って、相談しまくった。不安で苦しかったということもあったけれど、毎日家の中にいて、密かに泣いてばかりいた初期の頃は、そうやって助けを求めないと、自分が潰れてしまうと思っていた。

住んでる地域の教育相談に月に1度、心理士の先生に相談できるシステムがあり、通うことになった。

親のメンタル保つのって、本当に大事だから。

ママ子はここでも、泣いたり笑ったり、心理士さんとお話して、次女の良いところをたくさん褒めてもらって、元気をもらった。

ママ子は次女の自慢話をした。

あの子は、いいところがたくさんある。だから、きっと、大丈夫。そうやって、心理士さんが励ましてくれて、ママ子は、次女の中学卒業まで、教育相談に通わせていただいた。

不登校の「親の会」に参加

ママ子は地域の教育相談で、不登校の「親の会」があるかどうか、聞いてみた。

すんなりと申し込みできた。自己申告や口コミで問い合わせがあった時だけ、教えてくれるらしい、なんともシークレットな組織である。

ママ子:「これ、チラシとか出さないんですか?」

って聞くと、「あまりそういうことはしていないです」と相談員さんに言われた。

たぶん、親が殺到して、収拾つかなくなるからかな…と、ちょっと思った。だって、今、不登校が思いっきり増えてるんだもんね。ママ子が見てても、世の中に不登校に片足突っ込んでる子どもたちは100万人以上いると思う。30万人どころの話じゃないかんね。

参加してみると、司会のソーシャルワーカーさんが1~2名。元不登だったお子さんを持つ、先輩のお母さまが2名いて、参加者は3~5名程度。とても小さな集まりだった。

ママ子はここで、とても勉強になる話が聞けた。

一人の先輩ママさんが、ママ子に話してくれた言葉。

先輩ママ;「お子さんが、生まれてから13年間ずっと辛かったって言ったんだよね?それならば、
ここから完全に回復するまで、13年間はかかると思った方がいいよ。そのぐらいの覚悟はいると思う。でも、大丈夫だからね。大丈夫。」

衝撃的であった。数年とは思ってたけれど、そうか、生まれてから辛かったんだもんな。次女にはそのぐらいの気持ちで接していかなければならない。ママ子は、このお言葉があったから、焦らずに済んだ。

先輩ママさんのお嬢様も、自傷行為もあって、中学からずっと不登校で転校したり退学したり、高卒認定とって短大に進んで中退し、就職してもすぐ辞めてしまったりと、20代前半の今でも少し不安定な状況らしい。
それでもアルバイトをしながら、元気で好きなことをしているお嬢様を誇りに思っていらっしゃる。

長い時間、そうやって見つめ続けてきたからこそのお言葉だ。

ママ子は、先輩ママさんたちが優しく「大丈夫よ~」って言ってくださるお言葉に、何度も救われた。
そして、同じ中学生の不登校のお子さんを持つ親御さんたちと涙を流しながらお互いの話を聞くという、本当に貴重な時間を頂いた。

ママ子は、1年ほど、2カ月に1度開催される、この親の会に参加した。予定が重なり、参加できないこともあり、とても悔しく思うほど、毎回楽しみな会であった。

しかし、地域の教育編成が変わり、この会は突然、閉会となってしまった。

連絡先も交換していなかったので、とても寂しいお別れとなってしまったのだ。

でも、この一年間、本当に優しい世界に触れられて、ママ子は幸せだったし、とても学ぶ機会も多かったし、不登校の親同士、泣きながら励ましあって、笑いあって、楽しい時間を過ごせたことを心から感謝している。

不登校から半年後…次女の変化が始まった。

次女は、不登校になって、半年後経った頃、ちょうど、中2の夏休み頃だったかな。

次女:「ママ、私、フリースクールみたいな所に行ってみたい

と、言い出した。

この頃のママ子は、次女に対して「誘う」ことや「提案」することをやめていた。どうしてもママ子は圧があるから「押しつけ」になって、次女の心の負担になってしまうことが怖かったんだ。

次女が自発的に要望を話してくれることを待って、要望があった時は、できる限り叶えた。
「散歩に行きたいとか、パズルしようとか、OKマートにカップラーメン買いに行こう」とか、そういうカワイイものだったけれど。

次女:「ネットのお友達がフリースクールに通ってて、数学の正負の数のところがわからないんだって。あたし、それならわかるから、教えてあげたくて。私もどこか、そういう場所に行ってみたい。」

と、言い出した!!!

次女の言葉を受けて、びっくりして、時間が止まった。

ド・ド・ド…ちょっと、驚いて、それでも冷静を保ち、
ママ子は「もちろんだよ。あの…区のやつでもいい?フリースクールと同じように先生がいて、好きなことして過ごせるし、勉強もできるし、出席日数にもなるみたいだから」と話した。

次女:「うん!通えるならどこでもいいよ」

と、言ってくれたので、手配を進めた。

でも実は、水面下では、地域の特別支援学級や通級のプリントをスクールカウンセラーの先生からもらっていて、完全不登校になってからすぐに、ママ子は手続きを開始していたのだ。

だって、30日以上完全に学校に行ってない人とか、いろいろ制限があるから、すぐに手続き完了できず、2~3カ月待つと言われていたので、次女が行く気になったときにすぐに手配できるよう、先回りしてた。あー、こういうところがママ子のダメなところなのかな💦

でも、幸いこの手続きをしていたことで、次女の要望から、すんなり手続きに進むことができ、見学に行かせてもらい、夏休み明けからすぐに、次女は不登校の生徒のための支援学級に通えることになった。

次回に続きます。

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